COLUMN

今日のBeYond vol38

\ アートから学校をBeYond  /

「みんなの学校」の校長先生の木村さんと、東京都現代美術館・学芸員の郷さんの記事です。

アートから見た、学校とは何か、評価とは何か、教育とはどうあるべきなのかが見えるいい記事です。

必読

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以下一部引用

木村:私の知る中では図工を研究している教員もいますが、十中八九、彼らの研究授業にはマニュアルがある。スーツケースの中に子どもたちの作品が収められているんですけれどね、そのスーツケースに収まらないような、長い棒や大きな風船のような作品は、ポキっと折ったりプシュッと空気を抜いたりして、無理にスーツケースに入れてしまう。
だから大空の同僚と、「学校教育で図工の授業や評価をやめてしまったら、子どもはもっと育つだろうね」って言い合っていました。だって1年生のときから「これはダメ」「これはこうしなさい」って言われ続けたら、子どもはそれしかないって思ってしまう。そうしたら、「普通」という名のスーツケースに自ら入っていきますよ。

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郷:出張授業で出かける小学校で子どもたちの作品を見せてもらうと、中にはものすごく面白い絵を描く子がいるんです。僕たちはその子に会えることを楽しみに授業に向かうのですが、そういう子は大抵、学校や家で何かしらの問題を抱えている子なんですね。僕たちの前でその子がまた何かやらかすんじゃないかって、先生たちは彼らを扱いあぐねている。他の子と違う感性を備えているのに、学校の中では問題視されてしまっているんです。

木村:まさに、いまおっしゃったことが教育現場の課題なんです。クラスの平静、平穏を保ちたいから、面白い子をどんどん排除しようとする。平静って、嫌な表現をすると「普通」の子を育てたいってことですよね。でも、アートと「普通」って真逆のものですよ。

郷:だから出張授業では、「足を使って絵を描くアーティストもいるんだよ」とか、表現活動はいろいろあるということを子どもたちに伝えています。そういうことを知ると子どもたちも、「あ、それでいいんだ」って興味を持ってくれる。先生がそれをどう思っているかわかりませんが、僕らやアーティストのような第三者の立場の人間が学校の中をかき回してもいいかなと思うんです。

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